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小豆の餡に包まれたおはぎやぼたもち。
美味しいのですが違いって何かあるのでしょうか?
調べてみました。
おはぎやぼたもちの歴史は平安時代にさかのぼります。
宇治拾遺物語ではかいもちといって牡丹餅に近いお菓子が食べられていました。
(出典 「平安時代のお菓子」http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/tougashi/heian_kashi.html)
昔はぼたもちのことを「かいもちひ、かいもち」とよんでいたんですね。
ちなみに「萩」は万葉の時代から和歌にたくさん詠まれている花。
しかし牡丹は中国の植物なので古い和歌には詠まれていません。。。
おはぎは『四河入海』という蘇東坡の漢詩集の注釈書(室町時代)の中に
と出てきます。
鎌倉時代、危機にあった日蓮聖人に一人の老婆がぼたもちを差し出したという逸話が残る常栄寺は鎌倉時代からあるお寺でぼたもち寺と言われています。
おはぎは鎌倉時代にはすでに定着していたんですね。
それに対してぼたもちはもう少しあとの時代のようです。
江戸時代くらいでしょうか。
ぼたもちは「本朝食鑑」(元禄10年)に「母多餅」として登場!
「本朝世事談綺(菊岡沾涼 1734/享保19年)」では、いくつもの半搗き餅を皿に盛り、その上から餡をかけたさまが「牡丹の花に似ているために」牡丹餅という、と書かれています。
しかしぼたもちの「ぼた」は牡丹の花という美しい意味として用いられただけではありません。
ぼたもちは疱瘡にかかった人のあばた面のことも意味していました。
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俳句の「萩の花ぼたもちの名ぞ見苦し野」
やがて寺島良安により江戸時代中期に編纂された日本の類書『和漢三才図会』の中で
と書かれているように花に似せて作られているという説が定着しました。
昔は砂糖が貴重品で輸入されるようになったのは室町時代でした。
江戸時代になると南蛮貿易によって砂糖が大量に輸入されるようになります。
平安時代ころは小豆あんではなく塩餡が使われていました。
ぼたもちやおはぎは「かいもち」と呼ばれ、
お客様に振る舞ったり
子供のおやつや法要などのときに食べられていました。
小豆あんの他にもきなこをまぶしたものや青のりをまぶしたものなどがあります。
店頭ではごまが餡として使われている商品なども人気があります。
土用の入りの頃に作るものは土用餅と呼ばれたりしています。
現在おはぎとぼたもちは季節によってその呼び名を変えています。
しかしどちらも彼岸の季節の花であるということは一致しています。
ぼたもちは牡丹餅と書きます。
おはぎはお萩。
どちらも花の名前がついています。
ぼたもちは牡丹の花が咲く春の彼岸の時の呼び名。
ご先祖様へのお供え物を牡丹の花に見立てたことからこう呼ぶようになりました。
牡丹の花
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おはぎは萩の花が咲く秋の彼岸の時の呼び名。
ご先祖様へのお供え物を萩の花に見立てたことからこう呼ぶようになったのです。
萩の花
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しかし私の住んでいる地方だと、彼岸にお供えするのは彼岸団子なんですけど・・・・
ぼたもちもおはぎも彼岸に仏様にお供えする食べ物だとわかりましたがお団子をお供えする地域もあります。
曹洞宗のHPによると
と書かれています。お彼岸の中日にはぼたもちやおはぎをお供えするんですね。
ぼたもちやおはぎは餅を餡で絡めた食べ物ですが昔は甘くなかったようでした。塩餡などが始まりのようですね。
ぼたもちよりもおはぎのほうが歴史が古かったのですが、
おはぎもぼたもちもどちらもご先祖様へのお彼岸のお供え物だとわかりました。
そして
お彼岸団子をお供えする地域でもお彼岸の中日にはおはぎやぼたもちをお供えするんですね。