私の義母は信仰の塊のような人でした。
尊敬していました。
疑いもなく真っ直ぐな信仰心を持っておられた方です。
そろばん塾を経営する頭の良い女性でしたが
彼女には神仏に対する確信にも満ちた信仰心があったのです。
それは彼女の祖母にあたる人が霊感が強かったこともあるでしょうし
彼女自身にも霊感があったということもあるでしょう。
義母は戦前生まれです。
母が
「卵買ってきて。」
と義母に行ったとき、
「お母さん、卵今日貰えるから、買いに行かなくてもいいよ。」
と言ったそうです。
なんでわかるんだろ?
私からの質問には笑うだけでした。
私の主人も深い信仰心があったのですが
最近神仏を外に求めるよりも、自分と対座して自分がしたいことをするというスタンスに変わってきています。
主人は相変わらず仏壇に向かってお経を唱えますが
「何も求めない。自分がやりたいからやるのだ。」
と言っています。
落ち着くのかな?
最近主人と意見が一致したことは
正義があるわけじゃない
道徳っていうのは人間が作ったことで、自然の摂理とは全く関係ないということ。
昔は
因果応報
とか
悪いことをするとバチが当たる
とか思ってた。
でも現実はですね、違ってた。
悪い政治家は儲けたもん勝ちだし
殺人事件の加害者はこの世で受けるバツなんて、ない。
悪は人間が決めた定義であって、自然の摂理とは関係がない。
善も悪も自然界には存在しない。
きっと現象があるだけなんだ。
良いことをすることが美徳と言っているのは人間であるから、
陰の善行を進める道徳や宗教にとっては、社会をまとめるには都合がいいけれど
それは自己満足でしかないんだよね。
で
結局自分が何をしたいか?ってこと。
神様や仏様にお願いするよりも
自分のしたいことを見極めて実行したほうが幸せだってこと。
自分以外の何かに何かを期待することは無意味だと思えるようになってきた。
自分の内面と対座できるようになってきたということなのかな?
ただ今はまだ社会の中に組み込まれているので
仕事がうまく行かなくて
仲間に迷惑をかけると自分を責めてしまう。
つまり
つらくなる。。。。。
特に私は管理的な仕事がうまくできない。
ピラミッド社会の上に行くには
全体を見る才能と他人を動かす強さがいるけど
自分ってそんなの皆無だと思う。
数年前まではそれが自分を苦しめてきた。
「わたしってだめだな。。。」
「自分って仕事できないよね。。。。」
実際今もそうだ。
仕事ができなくて周囲を怒らせてしまったこともあるんだ。
そして自分は夜も眠れなかったり、気がつくとその感情を何度も何度もリピートしてしまって
「自分って最低だな。」
って思ったり・・・・・
定年退職が順番に伸びていく。
自分の人生設計だと今年退職だったんだけどな。。。。
あと数年伸びている・・・・・
いやだなあ。。。。
今の仕事・・・・
そんなことを考えているよ。
最近の雑感でした。
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